2010/08/04

【パール幼稚園ファンが生まれる幼稚園】運命の出会い



ボクの机の後ろにあるスナップ広場の中央の写真である。

今は亡き、中島千幸氏とのツーショット。

一体?

何年前の写真だろう・・・・・。

中島千幸氏とは。

リンドウアソシェイツというデザイン会社の社長であった。

この中島千幸氏と出逢っていなかったら・・・。

今のパール幼稚園園長野村良司は存在しなかったであろう。

ということは・・・・・。

今のパール幼稚園も存在しないということである。

中島千幸氏には、

いろいろな幼稚園に連れて行ってもらった。

日本全国にとどまらず、

海外に至るまでである。

中島千幸氏には、

いろいろな園長先生方と

ご縁をつないでいただけた。

ボクの携帯電話メールの

受信履歴ナンバー1は・・・

中島千幸氏であった。

幼稚園の方向性を相談したり、

仕事の依頼などと・・・

なんだかんだで。

ほぼ、1日に1回は電話でやりとり。

それなのに・・・・・。

意見が合わないときは、

1~2週間とか電話をしないし。

かかってもこない。

園児募集では、

はじめて願書交付前夜に

保護者の方が並んだという状況のときも。

夜中に差し入れをもってきてくれながら、

喜んでくれた。

仕事で知り合えたのだが、

年の離れた弟のように扱ってくれたと思う。

2年くらい前に癌が発覚し。

覚悟をきめて。

パール幼稚園に遊びに来てくれた。

他の園長センセには・・・・・。

誰にも言わないでほしいと・・・・・。

でも、中島千幸氏の覚悟を教えたくれた。

夕方・・・・・。

パール幼稚園の事務室にて、

二人でボロ泣きしたことを思い出す。

そして・・・・・。

半年後。

少し痩せた姿で。

再度。

来園。

帰り際の姿には。

何も言わずに・・・。

最後の別れを感じていた。

そして・・・・・。

中島千幸氏が他界して1年が経つ。

何かあれば・・・中島サン。

どうかすれば・・・中島サン。

どれだけ勇気を与えてくれた人だろう。

今でも・・・・・。

どぉっしよっか?

と思うとき。

何気に相談している人である。

これからも。

たくさん相談するであろう・・・・・。

中島千幸氏。

幼稚園が大好きなダンディーである。